今日は、雨が降ったり急に晴れたりとすっきりとしない一日でしたね。
雨の日になんだか憂鬱な気持ちになったり、 漠然とした不安や閉塞感を感じる時はありませんか? そんな時にお薦めなのが、室生犀星の詩集です。 彼の詩には、雨や雪を扱ったものが多くあり、 犀星の自然描写はどこか哀しくて寂し気で それでいて大地に触れているような温かみが感じられます。 雨の日には犀星の 「雨の詩」「故郷にて冬を送る」 「未完成の詩の一つ」 「夕の詩」などを読んでみてはいかがでしょう。 きっと読み終わると雨が土に吸い込まれるときの なんともいえない芳香が、詩の世界からみなさんに運ばれてくると思います。 ちょっとセンチメンタルな気分になって、 誰かと深く語り合いたいような感覚を覚えたら、 憂鬱な雨の日も、深い思索の旅に出れる特別な日に変わるかもしれません。 慌ただしい日に追われて、自分が見えなくなったときに 家族や友達以外で私を助けてくれるのが、 室生犀星やランボーやイェイツ、中原中也、宮沢賢治といった詩人だなんて なんとも贅沢ではありませんか。 そしてもし眠れない夜をお過しでしたら、 ぜひ野尻抱影の『星三百六十五夜』を読んでみて下さい。 「星の抱影」と呼ばれる彼の紡ぐ星空のロマンに きっと美しい夢をみさせてもらえるでしょう。 では、私も今日は抱影と一緒に星空の旅をしようと思います。 おやすみなさい
2008,05,19, Mon 22:28
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気付いたらキャンパスには半袖の人がかなりいて、
自分は手近にあったジャケット羽織ってきちゃったもんだから、 予想外な暑さにしてやられたり。 日々がめまぐるしくて、季節が進んだことも忘れてたよ。 天気予報くらい見とけよ、ってつっこみが入りそうですが、 今日の朝は5時半起床でパソコンに向かってカタカタしてたんすよ。 まあその甲斐あってか、 今は終わったーと終わっちゃったーが混ざった心境です。 「終わったー」のは今日の7-8限にあった中国思想演習の発表で、 「終わっちゃったー」のはごーるでんなうぃーく。 一気に全部終わって心地よく疲れた感じ。あー黒糖梅酒飲みたい(笑) 「終わったー」の中国思想演習では今、『老子』をやってます。 いきなり本文第一章を担当することになって、 やたら難解で意味深な文と向き合った次第。 実は去年も同じこの中国思想演習をとっていて、 (再履じゃないよ、反復履修だよ←分からない人は履修の手引き参照) そこでは『韓非子』というのをやってたんだけど、 もう全然『老子』とは違う。 韓非子ちっちぇえなぁ、と思わずにはいられませんでした。 でも私はそんな韓非子が結構好きなんだけどね。 1年間付き合ってきたから情が湧いたのもあるかな(^^;) 韓非子は、なんとかしようなんとかしようとしてあがいてる感じ。 人一人がどんなにあがいたって、思い通りに国が動くわけないのに。 心は不確かなものだと私も思うけど、 心がなきゃ民衆はついてくるわけないのに。 それでも自分が正しいと思い込んで、真剣にあがいて、無残に散って。 人間不信とか言われつつもものすごく人間臭い韓非子が、 なんていうか、ちょっとかわいく思えたり。 比べてみると面白い発見があるね。 第一印象は「柳に雪折れ無し」って感じの『老子』とも、 これから1年間付き合っていくことになるのが楽しみになりました☆ 1年後にはもっと違った想いを抱くようになるのかな。 (つか、中国文学ってどのカテゴリーに入れればいいんすか部長) そして、「終わっちゃったー」のGWは、 ずーっとかるたをして終わりました(笑) 合宿に行って、1日6試合かるた! 腰も膝もがったがたですわ、もう。 振り返れば大学4年間、GWはかるたしかしなかったよ。 でも自分の私生活なんてほとんどかるたに侵食されているわけだから、 私生活を満喫したGWということになるのかな。 楽しかった。本当に楽しかった。 好きなことやるっていいね。 現実に戻ればやらなきゃなんないことは山積みなんだけどさ… 逃避なのかこれは逃避なのか。おい いや息抜きっ、きっと息抜き、勿論息抜き! 韓非子ばりの思い込みでなんとかあがいてみようではないか。
2008,05,07, Wed 23:47
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長野に帰っております。
9日に演習の発表とレポート提出があって心配だったのですが、演習は翌週に延び、ホッ…と安心しての帰省です(^‐^) その演習というのが、実は今日の記事に関係があるのです! それは芥川龍之介の演習。『奉教人の死』『秋』『南京の基督』『湖南の扇』から好きな作品を選んで発表する、というものです(私は『奉教人の死』を選びました) これをきっかけに、私の芥川熱に火が付き(笑)、授業が終わった後、毎日図書館が閉館するまで全集を読み漁る日々を送っています。そんな私の芥川熱を察してくれた父は、小説『河童』舞台にもなった、上高地行きを計画してくれました。そんなわけで今日は上高地へ行きました! お天気にも恵まれ、穂高の山々がキレイに見えました♪ 父は若い頃穂高に登ったことがあるそうなんですが、道に迷って危うく遭難しそうになったとか、ならなかったとか(笑) ちなみに母も穂高にはチャレンジしたらしい。山好きの両親です(^^) これぞおしどり夫婦、なんつって。ホンモノのおしどりちゃんもいました~ こっちがだんなさん。 こっちが奥さん。 奥さんおしどりがエサに夢中で、どんどん遠くに行ってしまうので、だんなさんが小刻みに鳴きながらあとをついて回っていて…なんだか笑っちゃっいました。そんなわけで、残念ながら夫婦一緒の写真は撮れていないのです(エサというのはどうやら自然の水草のようで、動物にエサをあげている人がいたわけじゃありません。野生動物にエサはあげちゃいけませんぞ。念のため)。 温泉にも入りましたよ! 浴場には上高地で詠まれた歌があって、とても素敵でした。ピックアップして載せるので、みなさんも好きな歌を選んでみては?? この谷をかきうづめたる雲霧の裾べに冷えて水の素青さ 太田水穂 いわけなく涙ぞくだるあめつちのかかるながめにめぐりあひつつ 若山牧水 白雲のおりゐる谷に駒鳥の鳴く音間遠に朝のしづけさ 島木赤彦 この部屋を受けもつをとめものごしも朗らかにして山の話す 斎藤茂吉 …ちなみに私は島木赤彦の歌がいいなーと思いました。 「ゐる」という言葉、「間遠」という言葉に時間と空間の厚みがあって、歌のなかに立体的な世界が立ちあらわれるように思います。白雲の中から駒鳥の鳴く音が響くのが聞こえる。それほどに、静かな朝なんですね。清々しく、どこか神秘的な自然の風景が美しいな、と思います。 こんな歌を読んだあとに、自分で歌をつくるとウーン…って感じなんですが、何首かはまあまあ…の出来だと思うので、しばらく練ってから歌会に出してみようかなー、と思います。 (ちなみに島木赤彦は長野県の歌人。いつか諏訪の記念館に行くぞ♪) さて!話がそれました。本命の河童橋は、こんな感じ! そこまで混んではおらず、景色を堪能できました。 芥川が来たころは上高地に行くのはとても大変で(峠があるから)、今のように観光客でごった返す情景はなかったようです。 青色に澄んだ清流、清涼な空気、雄大な山々は、この世のもの思えないような不思議な美しさを、彼に印象付けたのかもしれません。 思いのほか暖かで、歩くにはもってこいの一日になりました。 野鳥やカエルちゃんの姿、自然の景色を楽しむことができ、とてもよかったです。ちょっと陽に焼けちゃったけど、楽しかったので気にしな~い(^^) 来週は山梨県立文学館へ、芥川さんに会いに行きたいと思います! みなさんも引き続き、楽しいGWをお過ごしくださいね。では!
2008,05,03, Sat 18:43
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今月からブログ部に参加します日文新四年のあずさです
今日が初投稿なので、やや緊張気味ですが、これからどうぞよろしくお願いします そして、そして・・・・早速部長に迷惑おかけしました 何度やってもログインできなーいと深夜に泣きつき、早速記事に穴をあけるかと姉まで巻き込んで絶望に陥っていましたが、部長のお言葉によって数分で 解決しました・・・やっぱり情報処理の講義取ったほうがいいかも・・なんて考えさせられましたが、、部長!本当にすいませんでしたぁぁぁああー さて今日、四月三日といえば日本女子大学の入学式です 新入生のみなさんおめでとうございます 天気も快晴でぽかぽか暖かい一日だったので、きっと気持ちのいい入学式を迎えられたんじゃないでしょうか? 自分の入学式がついこの間のように思っていたら、いつの間にかもう四年になってしまっていて、つくづく時間ってのは過ぎるのが早いですね なんといっても高校の時よりも時間の過ぎるスピードが違うんです!「大学生活は矢のように過ぎるよ」なんて聞いていましたが、本当に早い 一日が十時間もないなんてザラにあります!・・・ええ・・・時間が消えたわけではなく、、ただ私が寝すぎているだけですが・・・ ともかく!新入生の方々は、貴重な四年間という時間を充実したものにして欲しいです 新入生の初々しいスーツ姿は、きっと可愛らしいだろうな~ さて、今日は大した珍事もなかったため、私が近頃はまっている本でもちょいと紹介しようと思います。 それは近松秋江の「別れた妻に送る手紙」です。 ・・・・・・・・・う~ん・・・・・・・・・・・なんてディープな作品名・・・・・・・・・・・・・・・・・(笑) 本を手に取ったときは、(あぁ、きっと別れた奥さんに恨み言を言うか、子供は元気か?とか、そんな事を男が綴った内容だろう)と思っていましたが、そこには、別れた妻への未練がつらつらと(笑) 内容を簡単に説明すると、 ぐーたら働かない物書きの主人公に呆れて離縁を告げた奥さんに、手紙を送る主人公雪岡。奥さんに未練のある主人公は、奥さんとの関わりがなくなるのが嫌で、奥さんの実家でまだ暮らしている。それも主人公が出て行くことを望んである、奥さんのお母さんに世話までさせて(笑)。さらに奥さんがいないのに寂しくなって、遊女のお宮ちゃんと仲良くなり、久しぶりにうきうきした気持ちを味わう主人公だが奥さんのことも気になって・・・ ・・・・・・・・客観的に書くと、なんだかひどい男ですね(笑)・・・・・・・ でも、この主人公の素直な性格と感情表現が、なんとも可愛いんです駄目な人だけど、悪い人ではない。子供っぽすぎて、大人になりきれないだけで、奥さんへの未練も宮ちゃんのする男の話への嫉妬も、悪意や汚いところがない まさに少年の心をもつ中年男(笑) 奥さんもなんだか旦那さんが憎めなくて、ちょこちょこ様子を見に来たり、その様子を下宿のお婆さんから聞いて主人公が喜んだり 自然を見つめる目が優しかったり、他人の悪意に驚いたり、所帯くささがないというか、おままごとをしているかのような主人公になんだかほんわりしてまいます。こんな夫だったら絶対嫌だけど、きっと結婚したらほっとけないだろうなぁ、なんて考えたりしてしまいます。 典型的《だめんず》なんですが、どうも主人公の、いや近松秋江のファンになってしまいました。 良くも悪くも近松と関係が深かった正宗白鳥の回想なんかでは、近松は金があったらぐーたらして働かないから貧乏でちょうどよかった、女と見るとすぐ見に行く奴だったみたいに言われていましたが、なんだか可愛らしく思ってしまうのは私だけでしょうか?明治の文学者は、きりきりしているイメージがあったので、近松の緩さにホッとします もし去年のうちに近松秋江に出会っていたら、私の卒論の題材は変わっていたのでしょうか う~ん・・・いやいや、浮気しないで夢野久作のところに帰ります
2008,04,03, Thu 20:33
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