WBC野球日本代表…優勝おめでとうございまーす!
本当に最後の最後までドキドキさせてくれましたね~ 電車の中でワンセグ見ながらハラハラしてました。 感動をありがとう! 先日、第一回ブログ部のお茶会が開催され、そして昨日この前のお茶会に出られなかった残りのメンバーのお茶会が石井先生のお宅で和やかに開催されました。 そこで、せっかくこんなにカテゴリーがあるから、利用した方がいいよね!という話になりましたので、ちょっと中国文学のカテゴリーを使ってみたしだいです。 日本文学科なのになぜ?な、中国文学について少しご紹介させていただきます! 中国文学はその名の通り、中国の古典を勉強してます。ちなみにここでは中国文学という風に言ってますが、シラバスなどでは漢文学になっていると思います。ま、どちらもたいして変わらないと…思います。たぶん。 授業としては「中国思想史」「中国文学史」「中国古典講読」やその他演習なんかもあります。 高校生の皆さんは漢文というとあの教科書に載ってる、「史記」とか五言絶句なんかを延々やってるって思われるかもしれませんが、あれは中国文学のほんの一部なんです。 大学では諸子百家(春秋戦国時代の学派)の思想とか、中国文学の変遷などを勉強してます。 その年によって扱う文学、思想は変わりますが、日本の古典とはまた違った雰囲気を味わえて面白いですよ。 さらに漢文ゼミは卒論のテーマも人それぞれです。 老子や孔子などの中国思想をはじめ、中国医学についてや陰陽思想、風水といった易学、中国の食文化や茶文化について…など「中国」という大きな枠で時代や形式にとらわれず、本当にさまざまなテーマで卒論を書くことができるんです。 こんな感じで本当にざっとですが中国文学について紹介をしてみました。 日本文学科での中国文学を少しでもご理解いただけたでしょうか?
2009,03,24, Tue 22:19
【 文学・語学::中国文学 】 comments (x) trackback (x) |
最近サークルの友達に誘われてmixiというものに今更入ってみた私です。異空間過ぎて私には分からないことだらけです。そんなmixiの中で「キレるバトン」(お題の言葉を自分の口調に変換していく)とやらがありました。で、一応私も挑戦してみたんですけど……数分で嫌になった。何だかすごく疲れる。
怒るのって苦手です。 体力も気力も消費しちゃうのに、相手に真意が伝わらないで恨まれたり、もっとヒドイ場合は流されちゃったり。 わりに合わない面倒な作業だな、って思います。 でも、それでも相手に働きかけたいときってありますよね。 相手も自分も嫌な気分になっても、怒ること、怒られることがキッカケになって今までより深く付き合える。 そういうこともありますよね。 怒ってくれる人、怒ってあげられる人が自分の周りにいるのは、多分とても幸せなことだと思うのです。 だから、もっと他人にちゃんと怒ることの出来る人になりたいなぁ。 そんな話はともかく。私もたまには中古以外の文学を話題にしてみようと思います! 以前ともよちゃんが記事を書いてた中国思想演習という授業の話です。 ともよちゃんが書いてたように、この授業では『老子』を読んでいます。 今日は下篇徳経の後半にある章をいくつかやりました。 なかでも面白い指摘が出てたのが、79章。 深く結ばれた怨みごとを和解させたところで、〔当事者の間には〕必ずしこりが残るものである。どうしてすぐれたやり方といえようか。そこで聖人は、〔債権者として〕割符の左半分をしかと握っているが、しかし、それでいて相手(債務者)を責めることはしない〔自ら責めずとも、非があれば天が責めることを知っているから〕。諺にも「有徳の人は割符を管理するだけ、無徳の人はもっぱら取り立てる」という。天のやりかたにはえこひいきがなく、いつも善人の味方をする。 (楠山春樹『「老子」を読む』PHP文庫、2002) 最後の太字にした部分について「いつも善人の味方をする、っていうのはえこひいきとも取れる気がするんですけど…」と言った子がいて、それから皆で 「いや、善人の味方っていうのは悪い人は見逃さないっていうニュアンスであってー」 「でも善人か悪人かという判断は、その人の視点によって変わりますよね」 「そもそも『老子』で「善人」って表現するのが珍しい気がするんですが…」 と、善人って何だよ?という議論に。 あー何か質問してる人の言いたいことも発表者の言いたいことも分かる気がするんだけど、うーん。と一応考える私。 善人善人善…あれ? 前期に自分が発表した2章を見返してみた。 世の人はすべて、美しいとされるものを美しいと思い込んでいるが、〔立場が変われば〕それは醜いものである。善とされるものを善であると思い込んでいるが、〔立場が変われば〕それは悪なのである。…(後略) 「…あれ??2章でこう言ってたのに、79章で「善人」って言葉をぽろっと使っちゃうのは何だか変ですよね…」 何なんだこいつは…という話になるわけですが、ひとつの仮説として 79章に出てくる最後の一文は後世付け加えられたものではないか ということが考えられます。テキスト(前掲書)には『老子』という書物について次のような説明があります。 ところで近年の研究は、その内容から推して『老子』を一人一時の作ではないと見る。…(中略)…現行本の成立に至るまで約百五十年の歳月を閲したと考えられる『老子』には、当然のこととして旧新の思想が入り交じっている。特に戦国時代は思想界が活況を呈していた時期であって、『老子』の思想は他学派にも大きな影響を与えているが、逆に後出の文には他学派からする影響も見出される。 つまり、今私達が読んでいる『老子』はいろんな人の手が加わっているから、よくよく読んでみると 「え、前と言ってること違うよね?」 という訳の分からない部分が出てきてしまうらしいのです。むずかしー!誰だよ書き足したやつ!! 『老子』は正直難しいです。ただでさえ柔弱謙下とか無為とか言ってることも難しいのに…。 でも、前期から付き合ってきただけあって前より少しは親しめるようになってきた気がします。 それに一人じゃなく皆で読んでいるから気づくこともありますしね。今日の善人の所なんかも、私は(前期2章を担当していたくせに)「ふーん」と思っただけで全然ひっかからなかったので指摘してもらえてよかったです。 よし、この調子で後期も頑張ろう…。来週は目白祭期間で授業ないけど。
2008,10,08, Wed 23:23
【 文学・語学::中国文学 】 comments (x) trackback (x) |
今日は記念すべき74の日です☆
別に私が7月4日生まれなわけでもなく、 今年に入って74食パスタを食べたわけでもなく、 脳内年齢が74のおばあちゃんだったというわけでもなく。 でも私の中では60過ぎたあたりから、 こんな日も来るのかなってずっと思ってた。 さあ、74とは何の数字でしょう?(^_^) …って勿体ぶる必要も特にないんで、悔しいけど教えちゃおう。 今日で私がこのブログに記事を書くのも74回目、 初代部長・偉大なるあい先輩の記事数に並んだんです、ついに。 右側にブログ部メンバーの名前がずらーって並んでて、 そのなかでずっと動かない74っていう桁違いな数字があった。 すごいなーってずっと思ってた。 私よりずっと短い期間でこれだけの記事を書いたわけだから、 あい先輩のほうが比べ物にならないくらい大変だったと思うけど。 いつかこんなに書いたりするのかなーって漠然と考えてた。 4年になって、これひょっとして抜くんじゃね?と思って、 それからちょっと心の中で意識しちゃったりなんだりした74。 いやぁ、なんか感慨深いのぅ。 でもそんな自己満足な記念日の記事をどうしようかということは、 実はあんまり考えてなかったんだよな。 どうしよう、何書こう。 えーと、今日は学校の図書館にずっといました。 あ、なんかこう書くとちょっと真面目な子みたく聞こえるね♪ でもほんとは、レポートが切羽詰ってきたから。リアルだ(-_-) 中国思想演習、『老子』のレポートを何書こうか全然考えてなくて、 とりあえずむとうと図書館行こうぜってことになったのでした。 まあとりあえず『老子』読むか、と読んでたら58章に 「其の政、悶悶たれば、其の民は淳淳たり。其の政、察察たれば、其の民は缺缺たり。」 (その政治が大まかでぼんやりしていれば、その民は純朴である。 その政治がきめ細かくテキパキしていれば、その民はこせこせしてずる賢い。) ってあって、おいおいとつっこみ。思わずむとうに見せてしばし歓談。 いくら無為の治と言えど、これは現代社会にはちょっと無理でないかいと。 つか、ちょっと老子言い過ぎでないかいと。 行動はテキパキしてるけど純朴な人だっているよ普通に、と反論。 でもでも、良い悪いは全く別として、こういうタイプの全然違う人っているよね、と話は飛躍。 その人の周りを流れる時間と雰囲気が「さすが中国4000年」(←受け売り)な人、確かにいるね、と。 私3コマも授業とってるよ、と。 逆にテキパキしてて感動するくらい行動が早い人もいるよね、と。 うん、メールとか毎回ほんとに感動だよね、と。 いろんな人がいるねぇ、世の中ってのは。 相反しているけど、私は実はどっちも好きで、 なんか矛盾?と思ったけど、 まあ好きか嫌いかなんてフィーリングでしょ(^^) そしてうだうだと図書館に居座って資料集めをし、 むとうと駅前の蕎麦屋でうどん食べて、 奴はトイレットペッパーを買いに薬局へ、 私はかるたの練習へと行ったのでした。 うん、なかなかに充実した1日であった。
2008,07,16, Wed 23:50
【 文学・語学::中国文学 】 comments (x) trackback (x) |
気付いたらキャンパスには半袖の人がかなりいて、
自分は手近にあったジャケット羽織ってきちゃったもんだから、 予想外な暑さにしてやられたり。 日々がめまぐるしくて、季節が進んだことも忘れてたよ。 天気予報くらい見とけよ、ってつっこみが入りそうですが、 今日の朝は5時半起床でパソコンに向かってカタカタしてたんすよ。 まあその甲斐あってか、 今は終わったーと終わっちゃったーが混ざった心境です。 「終わったー」のは今日の7-8限にあった中国思想演習の発表で、 「終わっちゃったー」のはごーるでんなうぃーく。 一気に全部終わって心地よく疲れた感じ。あー黒糖梅酒飲みたい(笑) 「終わったー」の中国思想演習では今、『老子』をやってます。 いきなり本文第一章を担当することになって、 やたら難解で意味深な文と向き合った次第。 実は去年も同じこの中国思想演習をとっていて、 (再履じゃないよ、反復履修だよ←分からない人は履修の手引き参照) そこでは『韓非子』というのをやってたんだけど、 もう全然『老子』とは違う。 韓非子ちっちぇえなぁ、と思わずにはいられませんでした。 でも私はそんな韓非子が結構好きなんだけどね。 1年間付き合ってきたから情が湧いたのもあるかな(^^;) 韓非子は、なんとかしようなんとかしようとしてあがいてる感じ。 人一人がどんなにあがいたって、思い通りに国が動くわけないのに。 心は不確かなものだと私も思うけど、 心がなきゃ民衆はついてくるわけないのに。 それでも自分が正しいと思い込んで、真剣にあがいて、無残に散って。 人間不信とか言われつつもものすごく人間臭い韓非子が、 なんていうか、ちょっとかわいく思えたり。 比べてみると面白い発見があるね。 第一印象は「柳に雪折れ無し」って感じの『老子』とも、 これから1年間付き合っていくことになるのが楽しみになりました☆ 1年後にはもっと違った想いを抱くようになるのかな。 (つか、中国文学ってどのカテゴリーに入れればいいんすか部長) そして、「終わっちゃったー」のGWは、 ずーっとかるたをして終わりました(笑) 合宿に行って、1日6試合かるた! 腰も膝もがったがたですわ、もう。 振り返れば大学4年間、GWはかるたしかしなかったよ。 でも自分の私生活なんてほとんどかるたに侵食されているわけだから、 私生活を満喫したGWということになるのかな。 楽しかった。本当に楽しかった。 好きなことやるっていいね。 現実に戻ればやらなきゃなんないことは山積みなんだけどさ… 逃避なのかこれは逃避なのか。おい いや息抜きっ、きっと息抜き、勿論息抜き! 韓非子ばりの思い込みでなんとかあがいてみようではないか。
2008,05,07, Wed 23:47
【 文学・語学::中国文学 】 comments (x) trackback (x) |