今日は広島の原爆記念日です。広島の原爆投下から、62年が経ちました。
私は今、大阪の祖父母の家にいます。 昨日の夜、祖母がしきりと日付を気にするので、どうかしたのか、と聞きました。すると、「8月5日、夜の12時ころ、私の家が焼けたんや」と話してくれました。 8月5日の夜。 そのときの空襲警報は、いつもとは少し違ったといいます。どこかただごとでない、緊迫した雰囲気を感じ、祖母は家族と防空豪へ避難しました。慌てて下駄を履いて飛び出しましたが、逃げる途中で鼻緒が切れ、焼夷弾の熱で柔らかくなったアスファルトに足をつき、火傷を負ったそうです。祖母の叔母は、大事なものを家に置いて出た、取りにいくと、炎が燃えさかる中へ飛び出して行こうとしましたが、家へ近づくことも叶わず、涙を流していた、と、祖母は振り返っていました。 空襲の翌日、広島には新型の爆弾が投下されました。祖母はその日、焼け野原に家族とともに呆然と立ち尽くしたといいます。避難所で火傷に薬をつけてもらい、足を引きずって歩いた辛さを話してくれました。 7日、祖母は「特殊爆弾」の知らせを、ラジオで知ったそうです。そして広島のあと、程なく長崎の原爆投下の知らせを聞いたそうです。
2007,08,06, Mon 22:16
【 大学生活 】 comments (x) trackback (x) |