高校生の頃
「皆さん、必ず一日一つ、感動したことをノートに書き留めましょう」 そういうことを、1年間の目標に掲げた先生が居た。 私は、三日坊主だった。 ・・・ということが、ノートを発見してわかった。 そのノートには 「今日感動したこと。」という始まりでいくつか、 木の芽が膨らんできたとか、そういうことが箇条書きにしてあった。 余白が多くて、捨てるのはもったいない新品みたいなノート。 感動したことを、書いてみようかと思ったのだけど さりげなく感動する瞬間には研ぎ澄まされた感覚が必要みたい。 「感動〜どこだ〜」って意識的に探しちゃって、 果たしてこれが感動か?っていう感動しか拾えないんだわ。 何か、感動できる要素に気づいても 実際感動するには、気分に余白がなきゃ無理だしね。 せかせか時間を気にする日常に確実に一つ、感動要素見つけて 且つ、感動するって気力と精神力が不可欠。 もちろん、そういう気分的余裕とか 周りに対しての自分の感受性はなくしちゃダメだと思うけど 「感動」 っていうのは、そんなに簡単じゃない。 私は、毎日一つ感動しろって言われたって無理だし、 感動要素みつけました。という記録は、ただの具材でしょ。 記録するのは味わったものだけで良い。 感動の味が欠片も思い出せないレシピはお呼びじゃないんだ! どうせなら、好ましく思った、良いと感じた、そういう感情そのものを 書きとめて、時々思い出せるほうが良い。 色々使い道はあったけど 「一日一感動ノート」→「気に入った文章ノート」 に変えて、読んだ本から、好きな文章を書き出しておくノートとして 再利用することにしました。 今日の一文。 「銀河影きえぎえに、氷輪我のみを照らして淋しきに、 軒守る犬の吠ゆる声すみわたり、 浦波の音ぞここもとにたちくるやうなり」(上田秋成『雨月物語』より。) 舌の上で、文章を何度も転がして 甘い美酒を流し込むみたいに、じんわりと広がる感覚を味わう。 こういう感動の味を集めて 好きな時に思い出して何度も食べられる牛のようなものになりたい今日のワタクシ。
2009,02,18, Wed 12:07
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