これ、クリスマスに相方がつぶやいた言葉。
なになに、フィギュア? じゃあコージって誰すか。 意味が分からなかった私は、更に思考をめぐらす。 も、もしかして、「麹、魔王死?」 酒?焼酎?つぶれた人? 余計分からなくなって混乱していたところへ、 「字、分かってます?」 とつっこまれ。 手痛い、いやありがたい解説によりますと、 「好事魔多し」 だから、調子に乗っちゃいけんって思ったようで。 ふむふむ、そもそも切り所が違ったかと納得。 「国語の先生大丈夫?」 って、からかわれたけど、 普通に使う?私初めて聞いたよ。 家帰って辞書引いてみたら、 「好事魔多し→よいこと、うまくいきそうなことには、とかくじゃまがはいるものだ」 と確かに載っており。 クリスマスだからって、調子乗って浮かれていると、 いつか足元をすくわれるような気がするってことか。 慎重なんだか、ネガティブなんだか。 でも、禍福はあざなえる縄の如しって言うくらいだし、 いいことばっかり続くなんてあり得ないことだとは思う。 かるたでも、一試合の中に、 流れの変わるチャンスや落とし穴が常にあって、 勝っていても負けるし、負けていても勝てる。 でも、勝ってる試合を勝ちきることって本当に難しい。 頭では分かっているつもりでも、 無意識の領域で緩むときがあるから。 日常生活は試合とは違うから、 いい緩みは時に必要だなって感じるんだけど、 悪い緩みをしてしまうときって少なからずある。 だから、幸せを感じるときは、 ちゃんと足元や周りを見たり、感謝したり、 そういうの、忘れちゃいけないよなって、思う。 てか、思うだけ・言うだけなら簡単で、 ちゃんと実践しようと折にふれては感じるんだけど、 ふとないがしろにしてしまって、 やっぱりいつも調子に乗るな私は。 ほんと気をつけねば。 「好事魔多し」 なのに、なんだか起こりそうな悪いことも起こらなくて、 ちょっと私なう、あり得ないくらい幸せだなって思うと、 今度は「忘れじ」の気持ちになってくる。 忘れじの行く末までは難ければけふを限りの命ともがな (儀同三司母) これ、百人一首の中にあるんだけど、 今すんごい幸せだからいっそこのまま死んじゃいたいくらいだ、 っていう心境の歌(めっさ大約)。 私は欲望魔人で、いつもあれやこれやと欲望が渦巻いているから、 たとえ何か幸せを感じたとしても、 またすぐに次の幸せを願っちゃうほうだったんだけど、 ここにきて最近、 なんか彼女の気持ちが少しだけ分かってしまったような気がする。 「これが忘れじかぁ」ってリアルに思ったもん。 すごい幸せだと、ちょっと怖くもなる。 これ以上がないような気がして。 ずっと同じであり続けるなんて出来ないような気がして。 もちっと生きていたいとは普通に思うけど、 同時に「忘れじ」の気分も感じるなんて、 なんか人間の心って不思議なもんだなぁ。 時代を越えた共感力もすごいよね。和歌ってすげえ。 いつまでたっても、 人の心は進化しないのかもしれない。 だけど、私はとりあえず、 いいこと続いても調子乗らずに、 嫌なことからも逃げずに、 やるべきことをちゃんとやれる人に進化しなくては。 めぐりめぐって、教訓を得るに至ったクリスマス。
2008,12,25, Thu 23:59
【 それぞれのクリスマス 】 comments (x) trackback (x) |