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画像は、ある日の昼食。
久しぶりに学食のビュッフェを食べました。野菜多めにして健康に気を使ってみたつもり。ゴーヤチャンプルが美味しかったです!

さて今回は、最近卒論ゼミが楽しくて仕方ない、という話をしてみようと思います。
…こう言葉にしてみると、何だか嘘くさいですが、本当にそう思っているんだから仕方ありません!(と開き直り)

卒論ゼミの授業は正確には「日本語日本文学演習」といいます。
日本文学科では3年の終わり頃に専攻分野ごとのゼミが決定しているので、4年次にはそこで決まった自分のゼミの先生の日本語日本文学演習を取ります。

ゼミではどんなことをするのか、というと、卒業論文を書きます。
…って、それは当たり前ですね。
具体的にどういう形で進めるかというと、私の入っている中古ゼミでは毎回誰か1・2人にこれまでの自分の調査結果を発表し、それに対して皆で意見を言い合っています。多分、大体のゼミが同様の形式で進めているのではないでしょうか。
授業以外に先生と個々で面談をしたり、計画書を出したり…というのも勿論あるのですが、それはさておき。

日本語日本文学演習の面白い所は、「日本語日本文学予備演習」という授業と合同である所です。
日本語日本文学予備演習は3年生の選択必修科目。
つまり、卒論ゼミだけども4年だけでなく3年生も授業にいて、我々4年の発表を聞いているという訳です。
3年で予備演習としてこの授業に参加していたときはあまり意識していなかったのですが、これは4年にとったらわりとキツイです(笑)
4年だけなら(大体の人は予備演習で既に発表してるので)お互いのテーマもそこそこ把握してるけど、3年生は全くそれがない。ちゃんと分かりやすく伝えなきゃ。とか。3年生は私達の発表を通して卒論テーマを考えることになるんだよね。とか。
通常の演習以上に気を使ってる気がします。

…あれ、面白いっていうより怖い所?
まあ私は、何をどう突っ込まれるか分からないのが怖い反面、そこも含めてとても面白い授業だなと思っています。
みんな結構鋭い指摘をしてくれるから本当に参考になるし、他の子の発表を聞くのも勉強になります。

卒論は、最終的には自分一人が突き詰めるべき問題なわけですが、その過程でこうやって意見を交わせる場があるのは喜ぶべきことなんだろうなと思います。

結局何が言いたいかといいますと、
「就活とかで授業にあんまり出れない人も多いと思うけど、やっぱりなるべく授業出た方が自分のためになるよ」
「予備演習は選択必修だけど、なるべくなら取った方がいいよ」
とか、そういうことです。
今回は気持ち悪いほど真面目だな私。
こういうことばかり言ってるから「むってぃってドMだよね!」とか言われてしまうのか…。

2008,05,09, Fri 06:19
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昨日、久しぶりに本女に行ってきやした。
卒論発表を聞くために。
3年生はこれが必修で、
卒論を書き終えた4年生の発表を聞くというシステム。
ブログ部の先輩も何人か発表されていて、
「ほんとすごいな~」
と、ただただ感心するばかり。
小学生並みな感想でごめんなさい。
でも、予備知識のほとんどない自分は、
発表のレジュメを理解してついていくこと自体が必死な状況。
私が聞いた午後の部は上代~近世、図書館学の発表で、
だから自分のゼミ以外の発表も聞けて、
バラエティ豊かな感じ。
こういうのも卒論になるんだ~と新しい発見あり、
これ面白そうだな~と興味深くもあり、
でもやっぱり正直言うと、「圧倒されっぱなしだった」が正しい。
まいこ先輩のレジュメの真備&仲麻呂「飛行の術」がかわいかったり、
K玉先生ってこんなに話術上手かったんだ~と思ったりもしたけど。

「つまるところは愛なのよ」
卒論に必要なのはこれなのだそうで、
じゃあ私は百人一首への愛が溢れてるぜと思ったけど、
「愛だけじゃご飯は食べられないのよ」
だそうで、冷静にテーマを決めないといけんのね。
まあ私は多分にしてここで滞ることが予想されるのだけど、
どうすりゃ愛は形になるんですかね。
教えてくれよ定家。

中世ゼミの打ち上げの時も思ったけど、
卒論を書き終えた先輩たちは本当に晴れ晴れとした顔をしていて、
「卒論の威力ってすごいな~」って私は感動して。
でも自分にとって「ソツロン」とは、
まだ実体を見たことのないラスボスのようなもので、
いや敵と思ってはいけないか、
でもなんというか、
漠然としてるのに存在が重くのしかかる、みたいなイメージ。

卒論の予備ゼミで、
「百人一首の中でどの歌が好きなの?」
と聞かれた。私は、
「しのぶれどです」
って答えた。そしたら更に、
「なんでしのぶれどが好きなの?」
とつっこまれて、
「S音が取りやすいからです」
って真っ先に思ってしまった。
6年間付き合ってきた「競技かるた」と
文学としての「百人一首」に相容れない距離を感じてしまった瞬間。
それでも全部ひっくるめて、
百人一首への愛は私の中にあるって思ってたけど、
なーんか揺らいでるんだよね。
百首覚えてるってことはすごいことでもなんでもなくて、
かるた人にとっては、呼吸するとか足で歩くとかと同じくらいに当たり前のことで、
だから果たして文学としての百人一首に愛があるのか自信が持てなくて、
何がしたいのかよく分からなくなるときがある。

最近私の周りでよく聞く言葉ランキング1位は
「もうだめだ…」
なのだけど、漠然とした不安が常に付きまとっているからか、
ほんとに自他共によく使うのを様々なシーンで耳にする。
卒論発表会後にはあちらこちらで「もうだめだ…ソツロン」
あとこの時期だとおもに「もうだめだ…シュウカツ」
そして巡り巡って、
「もうだめだ…ゼンブ。ナニモカモ。」
と、ネガティブ一直線になっていく感じ。

一年後、自分がどんな気持ちでいるのか全然分からない。
一年後の今、
無事にシュウカツもソツロンも終え、
先輩たちのように晴れ晴れとした顔でいることができるのだろうか。
自信は全然ない。
でも、そうでありたいと、切実に思う。



2008,02,07, Thu 23:58
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