私は2年半、「阿木津英」という歌人のもとで短歌を学んできました。
一昨年の6月から、毎月歌会があり、昨日ですべて終了しました。 阿木津さんに出会ったのは、本学の創作技法論を受講したときです。 授業が終わり、どのように歌を続けていこうか考えながら、半年間、自力で歌を作ってきました。しかし1人ではなかなかうまくいかず、悩んでいたある日、寮に私宛の封筒が届きました。 「歌人修行、してみませんか」 阿木津さんからでした。技法論を受講していた学生に、雑誌連載のお手伝い(かな?)のお誘いがきたのです。興奮しながら、すぐさま、記載してあるアドレスにメールを送りました。「もっとちゃんと、真剣に歌をやってみたい」 何かが変わるような気がしました。 この呼びかけに、様々な大学、職場から、7人の若者が集まりました。 少々入れ替えもありましたが、これが現歌会メンバーになっています。 初めての歌会のとき、阿木津さんは自分のことを「さん」付けで呼ぶようにとおっしゃいました。歌会の場では、皆対等な立場にあるから、と。私は目上の人にさん付け、というのに慣れなくて、つい先生と呼んでしまうことが多かったのですが、訂正され「さん」付けになおしました。まだ未熟な私たちを軽んずることなく、対等に扱ってくださることが、とても有り難かったです。そして、歌の世界とはこういうものかと、身をもって知りました。 2年間、鑑賞の仕方、歌の作り方等、多くを学び、楽しい経験をしました。 夏休み中、歌会のために長野から出てきて、阿木津さんのお宅に泊めていただいたこと。忘年会や進級おめでとうの会。清水房雄さんをお招きしての歌会。少人数でざっくばらんに意見を言い合えたこと。歳も、大学も違う、素敵な歌の仲間に出会えたこと。 中でも最後の歌会では、特別なことを教えていただきました。 「歌わなければならないものを歌うこと」 これは、「今の自分にとって、歌わなければならないことが何かを、常に問いかけながら、歌を作る」ということです。 これまで私は、生活の中で、なんとなく感じたことを歌にしてきました。それは、餌が落ちてくるのを待っている魚みたいな、偶然に任せた作歌態度でした。そのため、試験や就活などで忙しくなると、気がそぞろになって、歌が疎かになりました。 しかし、今回この言葉を聞いて、そんな状態では、歌を作る意味なんてない、と思いました。もっと自身に問いかけ、溢れ出す心情を歌わなければ。阿木津さんをはじめ、先人たちは、きっとそういう気持ちで歌をやってきたんじゃないか、と思いました。 私はこれからも歌を続けるつもりです。続けた結果、どうなりたいとか、どうしたい、というのは考えられないし、考える必要もないこと。ただ、もっと、感じたことを豊かに、相手に伝わるように表現できたら、というだけです。 オープンキャンパスでは、受験生から創作はできますか、という相談を結構受けます。たいていの人は小説か随筆なんかに興味があるようで、私も短歌の話をしてちょっと落胆されたことがありました。でも、歌は、非常に繊細で、表現力が鍛えられるものです。短い詩形に、どんなことも表現できる。その不思議な魅力を知らないのは、もったいないんだけどな、と思います。最初は興味がなくとも、授業を通して思わぬ道が開けた、ということがあるかもしれません。だから選り好みせず、歌にもチャレンジしてもらいたいです。 ※創作技法論には、短歌だけでなく、小説や詩の授業もあります。
2009,06,07, Sun 23:50
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