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山椒の木をご存知だろうか。

私の家の庭に山椒の木が生まれたのは、数年前のことだった。
春、気付いたら庭木の間に山椒の木があった。
鉢植えを植えたのでもなく、種から育てたわけでもない。
家からそう遠くない場所に、小川や林の残る地域にある私の家には
多くの野鳥が訪れ、狸や鼬のような生き物がたまにではあるが顔を出す。
自然に生えてきたそれは、おそらくこのような野鳥か獣によって
家に落とされた種であったのではないかと思う。
意外に大きく成長する山椒の木は
今や私の身長を追い越して立派な木になった。

春、山椒の木には、白い小さな花が咲く。
そして、この時期にシワシワした緑の実を実らせるのだ。
その山椒を前にして、ふと、一年生の頃の上代文学史の授業で平舘先生が
「悔しいという感情を、山椒のピリっとした味だと感じていた」
とおっしゃっていたことを思い出した。
私は好奇心に負けた。

山椒の木になった青い実に手を伸ばし
あの香ばしい山椒の味を思い浮かべながら一粒口に含み
ガリッと噛んだ。
瞬間、自分の失敗を悟る。
ピリっとする、なんてものじゃない痛みが舌先に走る。
痛い。苦い。何より舌先が痺れて感覚が消える。
程良い美味しさを期待していた舌に、その痺れ、まさに想定外。

悔しさとは、麻痺する感覚なのだ。
痛くて、苦くて、心が痺れて動けない。そんな感情なのだ。

やってみなきゃ、わからんこともあるけど
生の青山椒を口に含むのはオススメしない。
ホント、暫く舌先の痺れがとれなかった。
水をがぶ飲みしてる私の隣で、母が笑った。
「馬鹿ねえ。だから言ったでしょ。止めときなさいって。」

・・・体当たりで、悔しさの味を噛締めちゃったワタクシですが、何か。
チャレンジしてみたいっていう、勇気あるおバカが居たら
是非あやこまでどうぞ。山椒の実を大学に持ってってあげるから。
噛んだ後の私の顔は引きつっていたらしいよ。



山椒の話がのっているのは
『日本書紀』巻第三

ものすごく大雑把に、内容をまとめると

神武天皇が、国を治めるのに良い場所を求めて九州から近畿地方に向かう途中、長髄彦(ナガスネビコ)が率いる軍と戦いになりました。ナガスネビコ軍との激戦の中、神武天皇のお兄さんである五瀬命(イツセノミコト)に敵の矢が当たり、その時の怪我が原因で亡くなってしまいました。・・・その後、色々あって・・・もう一度、神武天皇はナガスネビコと戦うことになりました。神武天皇は、お兄さんがナガスネビコと軍との戦いによって亡くなったことを忘れず、ずっと憤っていました。ナガスネビコは絶対に討ってやろうと決めていた神武天皇は歌を歌います。

みつみつし 来目の子等が 垣本に 植ゑし山椒 口疼く 我は忘れず 撃ちてし止まむ
(みつみつし くめのこらが かきもとに うえしはじかみ くちびひく われはわすれず うちてしやまむ)

「〈みつみつし〉来目の者たちの、垣根の辺りに植えた山椒。その実を食べると口がひりひりしていつまでも忘れられない。そのように、敵から受けた痛手は今も忘れてはいない。必ず仇を討ってやろう」(訳は、『新編日本古典文学全集』日本書紀① 小学館より)

 
2009,06,06, Sat 16:44
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