ってお風呂の中でずっと考えてました。
エンドレスでれっといっとびー(勿論サビだけ)鼻歌にして、 ぐるぐる記事のこと考えてたら、 頭だけ洗ったんだか体まで洗ったんだか自分で分かんなくなりました。 慣れって怖いね。 しかしいいお題は思いつかず。 いや、脈絡ないことならたくさん語れるんですよ。 今日池袋でスーツ買ったときの店員がかっこよかったなぁとか、 久々にマリオをしかもスーファミでやっちゃったよとか、 かぼちゃプリンに対する熱い想いとか。 でもなんか違うんだよなぁ。 なんつーか、最近の私の記事はどうも、 日々のつれづれ日記に落ち着いてるみたいな気がして。 もしくは、就活とか教職とかバイトとか生々しい話。 違うんだ、今日は何かを熱く語りたいんだ!(日々の逃避とも言えるが^^;) というわけでお題は携帯電話。 とか言うと社会問題とかそういう壮大な感じに聞こえますが、 そんなぐろーばるな話をしたいわけじゃなくて。 最近、電車に乗ってる人の大半が携帯いじってたり、 「携帯ないと生きていけないよー」的台詞を聞いたりするじゃないですか。 そんなときにふと思うこと。 寂しがりになったなぁ、と。私含め。 だって、携帯ってそもそも、簡単に人と人とをつなぐ媒体じゃないですか。 そのつなぎに依存しちゃってるってこたぁ、 携帯がない生活なんて考えられない=人とつながってないと不安、みたいな。 勿論一概には言えないけど、携帯に依存→人に依存ってのは大きい気がして。 例えば、私の真面目な全盛期は中学生だったんだけども。 管理能力が今よりあったというか、自律できてた気がするんですよね。 夜遅くに人恋しくなったり、 怒りを誰かに聞いてもらいたかったり、 伝え忘れた連絡をしようとしても、 友達に電話かけるには夜9時くらいまででしょとか我慢があった。 そりゃ携帯だって配慮は必要なんだけど、 バックに家族があるか個人だけかだと気の緩みかたも違うわけで。 知らず知らずのうちに、便利な携帯をいつも使ってる。 それでいて、こんなに依存してる携帯なのに、 よく考えると人とのつながりはめっさ薄い気がする。 例えば、年賀状出そうとしてアドレス帳見ても、 住所知らない友達がかなりいる事実。 バックアップとってなきゃそれこそ水没と同時に音信不通確定の人あり。 結構仲いい友達でも、アドレスと電話だけって多いですよね。 私が水死とかしても伝わらないんだろうな。 って思うと切なくなるの私だけですか? なんか、浸透力の勢いにのまれて、 いろいろ気づかぬうちに当たり前になってるのが怖かったり。 そもそも「携帯」って言葉自体「身につけたり手に持つこと」なのに、 今やなんの疑問を持つこともなく「携帯電話」の略ではないですか。 携帯灰皿とかなんか座を奪われちゃってちょっと寂しい感じするし。 縦書きの機能とか情緒とかも結構忘れてません? バイト先の塾で小学生の子が、 板書をなんのためらいもなく横書き変換して書いたのを見て、 ううむと未来を憂いました。 作文用紙の左肩をホチキスでとめられたりとかね。 なんかここまで一気にだーっと書くと、 私携帯嫌いの保守派みたいにも見えますが、 本当のところは、携帯大好き人間です(^^;) もうそりゃどっぷり依存ですとも。 携帯の浸透力怖~とか思いながらも。 携帯ゲームは毎日欠かさずやるし、 乗り換え案内ありがたやだし。 恋愛初期のメールやりとりなんてそりゃもう、 何回新着メール問い合わせをしたことか(笑) 携帯大好きなんだけど、なんていうかね、 やっぱり携帯じゃできないこともあるって、思えなくなりそうで。 カメラも時計もカレンダーも音楽もTVもお財布もみんなつまってて、 今の携帯って正直もうこれ以上何つめんのさみたいな状態じゃないですか。 でも、例えば月を見て綺麗だなと思う。 この綺麗さを誰かに伝えようとしても、写メじゃ上手く撮れんでしょ。 声や文字で伝えられても、 誰かと一緒に月見ながら手をつないで歩く、とか、 二人で月見酒を楽しむ、とか、 もうこれ全部携帯いらなくない? あ、別にロマンチスト気取りたいわけじゃないっすよ。 どんなに携帯につめこんでも、つめきれんものがある。 当たり前だけど。 いやほら、当たり前って結構忘れちゃうから。 大事なことはもっと原始的なところにある気がする。 どんなに便利になってもね。 うわあ極論。 今年は早めに年賀状でも書いてみますかな。
2007,11,17, Sat 23:59
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