祭の時からそのままになっている枯れた葵。お人形遊びの道具類。二藍や葡萄染めなどのきれじが、ぺちゃんこになって本の中などにはさまっているのを見つけた時。また、おりがおりであったので非常に心を動かされた人からの手紙を、雨など降って所在ない日に、探し出した時。去年使った夏扇。
『新版 枕草子』上巻(石田穣二訳注、角川ソフィア文庫) 今日は本当は博物館めぐりに上野へ行こうかと思っていたのですが、テレビで台風についてのニュースをやっているのを見て「台風が東京を過ぎてからにしよう。それに多分平日のほうが人も少ないし…」 と思い直し(まだ東京には台風が来てないというのに…)、予定変更して読書の日に。 で、読んでいたのは『宮廷女流文学読解考 総論 中古編』(岩佐美代子著、笠間書院)という本。 テスト勉強あるいはレポートの資料とかではなく、まあ卒論でこの辺をやろうかなあ位の気持ちで読んでいたのですが。 すごく面白かったです!岩佐さんは実際に宮仕えを経験された方で、女流日記もその自身の経験にもとづいた論を展開されています。取り上げられている作品を、自分も手にとって読みたいなという気持ちになり、一人で妙にハイテンションになりました(笑) そんなわけで、今回はちょっと冒頭に『枕草子』を引用してみました。 「過ぎにしかた恋しきもの(過ぎ去った頃のことが恋しく思い出されるもの)」として清少納言が挙げているこの部分は、なんてことはない部分ではあるのだけれど、私の好きな章段のひとつです。夏の夕昏時に一人で蝉の声を聞いてるときのような、うまく言えないけどそんな懐かしさと寂しさの入り混じったような気持ちがします。 もうすぐ夏休み。 日本女子大は今年は7/27からですが、中高生の方は来週にはもう休みになるのでしょうか。 普段はできないような、いろんな経験のできる期間です。 後で「過ぎにしかた恋しきもの」といえるような思い出を、たくさん作れるといいですね
2007,07,14, Sat 19:42
【 文学・語学::中古文学 】 comments (x) trackback (x) |
GW後半に突入しましたね!みなさん連休を楽しんでいるでしょうか?
今回は、日文ネタの内容にしてみます(^^) 来たる5月5日は子どもの日。平安時代の文学作品では、この日は「端午の節句」としてよく出て来るんです。季節柄、「菖蒲の節句」ともいって、菖蒲の強い香気が邪気を払うとして、蓬とともに薬玉にして人に贈ったり、柱や簾に掛けたそうです。 しかも「根合わせ」という、菖蒲の根の長さと美しさを競い合う遊戯まであって、召使いを数十人使って、洲浜の垣根に長い根の菖蒲を探させに行ったとか(笑) 時には4メートルくらいのものまであったらしい。 平安の人たちって・・・(^_^;) さてさて、本題はここからなんですよっ! この菖蒲の長い根を紙に包んで贈り合う風習もありまして、『紫式部日記』なんかにもそういう場面が出てくるんですが・・・ 根を贈るって・・・あの「根」を??? 泥から引いてきたんだから、やっぱり乾燥させるのかしら? 濡れてたら紙が汚れちゃうしねぇ。 でも、開けてみて根っこが入ってたんじゃあ、なんか嫌がらせみたいじゃない?? と、私の頭の中は憶測と妄想でいっぱい!(爆) そして、去年の自主ゼミの時に、たまたま根合わせの話になって、疑問を解決すべく、私はついに先生にお伺いしたのです! ゆきこ:「先生、菖蒲の根を贈るときって、やっぱり乾燥させるんですかねぇ?そもそも、根っこ贈られてきても・・・美しくないんじゃ・・・?」 先生:「・・・・・苦笑。」 その後、先生がご説明してくれたことには、根を贈るといっても、根っこだけじゃなく、菖蒲の葉もつけて、白いきれいな紙でラッピッングをし、白と緑の色合い美しく、さらに五色の糸で飾ったりして贈るのだとか。 そーだよね、さすがに根っこだけじゃあ贈らないわよねぇm(_ _)m 学生のこんな些細な(しかもかなり変な 笑)質問にも、きちんと答えて下さる、ステキな先生ばっかりです☆ |