四年生が続々引退し、フレッシュな記事が飛び交うポン女日文ブログでございますが、ブログ部長はまだ健在です。このまま四年を無事卒業(できるのか?!!)まで記事を書き続けたいと思っております。 …え、望んでないって?! そこをなんとか!! というわけで今回あいは大変お怒りでございます。 何って最近巷を騒がせているアレですよ。 全国の高校生の単位未取得問題!! これは糾弾すべき問題です。 このブログを読んで下さっている高校生の方々にとっても他人事では済まされない問題なはず。 第一これってどう考えても学校側が確信犯ですからね。 教育を支えるべき学校が、生徒の未来への足を引っ張ってどうするんだと。 本末転倒もいいところです。 特に保護者の方々にとっては信頼して預けているはずの学校に裏切られたショックは本当に大きいと思います。 ここで私が教育問題をキーキー怒りまくっても仕方がないので、今日は少し話を変えて 「どうでもいい勉強」についてお話したいと思います。 私は現役高校生の時毎日思っておりました。 「物理いらない!!微分積分やっててよかった~なんて思う日は絶対に来ない!!」 国語大好きっ子だった私にとって理数系の教科なんて敵も同然。 こんな事やっていても私の将来の何の役にも立たないと思っていました。 カエルの発生をスケッチすることが、ご飯を食べる事以上に役に立つ気は一切しなかったし、 とりあえず年号は覚える意味ない!! とか平気で思っている高校生でした。 それでもまあブツクサ言いながらミドリの濁ったペンと赤シート片手に暗記を繰り返したり、広告の裏を計算式で埋めたりしていたわけですよ。 今思い返してみて、実際それらが「役に立ったか?」と聞かれたら やっぱりそんなことはないんですが、 今振り返って思うのは「これが教養っていうものなんだよなー」ということです。 一見無駄なことって世の中に溢れてます。 文学だってそう。理系の学問と文学が一番違うのは、明日夏目漱石の「こころ」に対する画期的な読解が試みられたからといって、明日私たちの生活が便利になるわけではないところですね。 解明された新事実も、特にその文学に触れない人々にとっては「あっそ」ってことだったりします。 でも「教養」という言葉を家にある簡易な辞書をひいてみるとこう出てきました。 きょう‐よう【教養】ケウヤウ 1教え育てること。 2(culture イギリス・フランス; Bildung ドイツ) 単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる。 先生とKの関係がどうであったからと言って、誰かの為にはならないけれど、 それを自らの意思で学び、咀嚼することで自身の認識や見解を作ることができる、これって立派な財産です。 ひとりよがりな勉強?それでいいではないか。 無駄な勉強をしている、それがどうした。 といったところです。 皆さんが今一生懸命勉強しているのも、ご両親のためでも、大学に入るためだけでもない 未来の自分の道作るためにしているはずです。 世界史をどうしても取らないと卒業できない、っていう決まり自体も理不尽なかんじだけれど、一見無駄とも思える勉強をするのも高校生の醍醐味なんだと思います。 逆に大学生になるとこういうことって絶対できないんですよ。 だからこんないろんな意味で贅沢な期間を「大学に受かる為だけの勉強」としてとらえ、片づけていた学校はマジメに許せませんね。問題は当然そこではないわけだけど。 私は一大学生として、言う。 高校生の皆さんは、自分のために勉強することを忘れないで下さい。 そして学校は、そんな高校生たちを裏切るような仕打ちを二度と繰り返さないで下さい。 大学は「あなたにしかない勉強」が待っています。 皆さんは「今しかできない勉強」を頑張って下さい。 来年の春先のキャンパスで、満開の桜が皆さんをお待ちしてますよ。
2006,11,02, Thu 23:17
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