嗚呼懐かしきあの日。 この世に『広辞苑』より大きな国語辞典があることを知った1年の春、私は大学生の階段をまた一つ上ったのです…笑 ちなみに彼の名は『日本国語大辞典』。通称“日国(にっこく)”と呼ばれ、日文では誰もが一度は出会う彼、学校や地域の図書館にひっそりと隠れてるはずなので、何かのついでに見てみてくださいな。 4年にもなると思い出に浸りがちでいけませんな。今宵は卒論のお話でも。 私は今、とある作品における説話の受容について卒論を書いています。 タイトルはまだ秘密。 説話?受容?なんだそりゃ。要は、みなさんが良く知っているような「おはなし」が、さまざまな時代を経て江戸時代(大学では「近世」という呼び方をします)にどう受け継がれ、変わっていったのか…?ということです。ネタにしているのは金太郎の話。金太郎は最初からまさかりを担いで足柄山の熊さんと相撲をとっていたわけじゃないんですよ!笑 時代やジャンルを越えていろいろな文献やら関連する話を辿っていくうちに、「説話」ってなんだろう。そんなことを考えられたらなぁと思っております。 みなさん「作品」というと、目の前にある一作だけを思い浮かべる方が多いと思いますが、実は独り立ちしている作品ってそんなにないんです。 人がかならずルーツをもっているように。 たくさんの作品が、いろいろ影響しあって何かを生み出している。オーケストラとか合唱もそう。おいしい料理だっておんなじ。 私の卒論は、いわばルーツ探し。ひょんなところから出てくると、嬉しくなる。どんどん話が広がっていく。 後の誰かの“作り話”が、もっともらしい顔をして“真実”になり、語り継がれていることも。「ほんとうの歴史」って何だろう? 教育実習でも伝えたつもりだけれど、真実はひとつじゃないんです。
2006,06,11, Sun 21:59
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