この大会で初めて日本がオリンピックに参加した。
共に陸上競技で短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三の2名が出場した。 三島は400メートルの準決勝で棄権。 金栗は10000mを棄権してマラソンに出場、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3で世界一遅いマラソン記録を残している。 (; ̄Д ̄)? よーく見てみると・・・↓↓ 1967年、ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典が開催されたが、開催に当たって当時の記録を調べていたスウェーデンのオリンピック委員会が、陸上競技の男子マラソンにおいて金栗四三が「競技中に失踪し行方不明」となっていることに気付いた。 このため、オリンピック委員会は金栗を記念式典でゴールさせることにし、金栗を式典に招待した。 招待を受けた金栗はストックホルムへ赴き、競技場内に用意されたゴールテープを切った。 ゴールの瞬間、場内には「只今のタイムは54年8ヶ月6日5時間32分20秒3、これで第5回ストックホルム大会は総ての競技を終了しました」とのアナウンスが響いた。 金栗はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントしている。 (うぃきぺでぃあより引用・勝手に修正) 金栗氏はレース中に日射病で倒れて、近くの農家で介抱されてたらしいです。 でも目を覚ましたら、翌朝だった。 お茶とお菓子を食べて、帰ったらしい。 おもしろいですね、オリンピック。そして、ウィキペディア。 4年後を楽しみにしています!!!
2010,03,03, Wed 13:25
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