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何て晴れ晴れとした日なんだろう。
昨日の雨がうそみたい。
今日は、日本女子大学の一般入試日。
きっと皆さんを天も応援しているのでしょう。
例年は、このようなことこと(どちらとも行っていることは同じです)を行っていましたが、もう引退してしまったので今年はしませんでした。
けれども、心から応援していますよ!
明後日までありますが、”病”にならない程度にがんばって下さい。

***********
昨年末からずっと考えていた。
「文学部」とは何だろう、と。
入学する前にパンフレットを読んでいたから、「文学部」ではどういうことを行い、どういう力が身につくといったことは頭で理解していた。

でも―

頭で”理解”していても”実感”していなかった。
何だろう、何だろう  と、自分の今迄歩んできた道を振り返りながら考えてみた。
そうすると今迄自分が受けてきた授業で得た知識達が頭を過った。

授業で古典を学んでいて知った。
「何でこの人は文章にこのことを遺したのだろう」
ということ。
文章にしてでも遺したかった意味とは何?
消えてしまう”声”ではなく、残る”文”にして遺したかったのは何故?
「何かを伝えたかったのだろう」
最近、読む度にそう思ってはそれを探り始めた。

古典、に限らず現代存在している文章もそうだけれども。
”文章”として遺す。
それは、書き手が遺してでも伝えたかった想いがそこに溢れているのではないのかな。
文学を学ぶということは、それを読み取ることなのではないか、ということに気がついた。

「行間を読む」

まさにこれ。

これって、今を生きる為に大事なことなのではないかな。
文として存在しているものは、小説だけではない。
説明書だって、注意書きだって、契約書だって―
文として存在しているではないか。
それをきちんと読み取る能力は生きていく上で必要。

これって、全ての源ではないのかな。
経済をやるのだって、法学をやるのだって、何だって―
実学を理解する為にはまず、文を理解しなければいけないのではないか。
理解して、読み取るだけ……ではなく、それを表現することもまた大事。


実学は確かに大事。
実学傾向にあるのもよく分かる。
でも―
”文”としての機能を学ぶ「文学部」もこれから社会人として生きていく上で十分必要で大事だな…って。

あぁ、そっか―
今更。入学する前にきちんと理解しておけよ!という話だが、ようやく答えに辿り着いた。
卒論を書く前に気付いてよかった。
これから最後の年が始まる。
「文学部」として―
学べることをしっかり学んでから社会に出たい。


文学部の意義

(これを読んで、文学部に入りたいとお思い下さったら嬉しいです!)

2009,02,01, Sun 22:39
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