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大学に向かう道は銀杏並木。
今は、落葉の真っ最中で黄色の葉が道を覆っている。
道にひらりと降りてくる銀杏の葉は、瞬間的に光の中で輝いて
どんなクリスマスのイルミネーションよりも鮮やかだと私は思う。

毎年、毎年。落ち葉の季節が巡ってくるたび、綺麗だと思った瞬間の葉を文庫本に挿み込み、ドングリを見つけては、宝物を見つけたように拾ってしまう。綺麗だと感じた、その一瞬を残したいと思ってしまうのだ。ところがまあ、私は忘れっぽい。その日の夕日が沈む前に瞬間的な感動体験は頭から抜け落ち、衝動的に拾って挿んだ文庫本の中の葉は、後日ボロボロになって、さながら小さな虫の態でパラパラと本から落ち、多分にワタシを驚かせるというオチが待っている。これで何度悲鳴をあげたかしれない。

あ~、コレ絶対あとでボロボロになるよね。

と思いながらも、一昨日、私は思わず手を伸ばして金色の葉を本に挿み、大学内で真っ赤な葉を拾って文庫本に挿んだ。木の葉を拾う時にはいつも『万葉集』の額田王の歌を思い出す。

(冬ごもり) 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山をしみ 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし 秋山そ我は   (巻一・16)

「(冬ごもり)春がやってくると 鳴いていなかった 鳥も来て鳴きます 咲いていなかった花も咲いていますが 山が茂っているので 入って取りもせず 草が深いので 手に取ってもみませぬ 秋山の 木の葉を見ては 黄色く色づいたのは 手にとって賞でます 青いのはそのままにして嘆きます その点だけが残念です なんといっても秋山が良いと思いますわたしは」
(『新編日本古典文学全集 万葉集①』校注・訳―小島憲之・木下正俊・東野治之 小学館 )


この歌をはじめて読んだのは、高校生の頃。春も良い。秋もいい。けれど「そこし恨めし 秋山そ我は」と詠む強さが好きだった。確かに、木々の若葉を手にとることはないが、紅葉は拾う。当時から紅葉拾いのクセがあった私は、妙に納得したのだ。春も良い。秋も良い。だが、秋には手にとって愛でられるものがあるのだ、と。

拾う女、あやこ。どうせなら、どこかでステキな出会いでも拾って来たい、さむ~い大学三年生の冬。


2008,12,03, Wed 02:00
文学・語学::上代文学 】 comments (x) trackback (x)
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