山椒の木をご存知だろうか。
私の家の庭に山椒の木が生まれたのは、数年前のことだった。 春、気付いたら庭木の間に山椒の木があった。 鉢植えを植えたのでもなく、種から育てたわけでもない。 家からそう遠くない場所に、小川や林の残る地域にある私の家には 多くの野鳥が訪れ、狸や鼬のような生き物がたまにではあるが顔を出す。 自然に生えてきたそれは、おそらくこのような野鳥か獣によって 家に落とされた種であったのではないかと思う。 意外に大きく成長する山椒の木は 今や私の身長を追い越して立派な木になった。 春、山椒の木には、白い小さな花が咲く。 そして、この時期にシワシワした緑の実を実らせるのだ。 その山椒を前にして、ふと、一年生の頃の上代文学史の授業で平舘先生が 「悔しいという感情を、山椒のピリっとした味だと感じていた」 とおっしゃっていたことを思い出した。 私は好奇心に負けた。 山椒の木になった青い実に手を伸ばし あの香ばしい山椒の味を思い浮かべながら一粒口に含み ガリッと噛んだ。 瞬間、自分の失敗を悟る。 ピリっとする、なんてものじゃない痛みが舌先に走る。 痛い。苦い。何より舌先が痺れて感覚が消える。 程良い美味しさを期待していた舌に、その痺れ、まさに想定外。 悔しさとは、麻痺する感覚なのだ。 痛くて、苦くて、心が痺れて動けない。そんな感情なのだ。 やってみなきゃ、わからんこともあるけど 生の青山椒を口に含むのはオススメしない。 ホント、暫く舌先の痺れがとれなかった。 水をがぶ飲みしてる私の隣で、母が笑った。 「馬鹿ねえ。だから言ったでしょ。止めときなさいって。」 ・・・体当たりで、悔しさの味を噛締めちゃったワタクシですが、何か。 チャレンジしてみたいっていう、勇気あるおバカが居たら 是非あやこまでどうぞ。山椒の実を大学に持ってってあげるから。 噛んだ後の私の顔は引きつっていたらしいよ。 >more⇒
2009,06,06, Sat 16:44
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