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能「俊成忠度(しゅんぜいただのり)
一ノ谷の合戦で平忠度を討った岡部六弥太が、「行き暮れて」の辞世の一首をしたためた短冊を忠度の和歌の師、藤原俊成に届ける。すると忠度の亡霊が現れ、勅撰集への執着と修羅道の責めに苦しむ様を見せ、消え去る。
(社会法人能楽協会・能楽辞典・曲目データーベース(http://www.nohgaku.or.jp/)より)



私が所属する観世流能楽研究会では、この時期に大きな舞台が二つあります。
一つは勿論、我が日本女子大学の文化祭・目白祭の期間中、成瀬記念講堂にて行う「自演会」。そしてもう一つは、師事いただいている先生が主催なさる「お素人会」というお弟子さんが一堂に会して出演する会。とくに後者は本物の能舞台にて舞うことになるので、一学生にはなかなか味わえない経験ができる機会であるといえます。
つまり、秋は能楽研究会の書き入れ時…と言うのもおかしいですが、とにかく、いつにも増して精力的に活動する時期であるわけです。

この舞台で出す演目は、私たち能研で会議をして決める…のではなく、先生の鶴の一声で決まります。
昨年、二年の私が出すことになった演目は「敦盛キリ」(※1)でした。いわゆる「修羅物」。
修羅物」と言うのは、能で言う「二番目物」のこと。ほとんどが源平の戦を主題としており、一般的に普及している能楽のイメージと比較すると動きがとても激しいです。
仕舞となっている部分のシテ(主役)は大抵の場合武将なので(「敦盛キリ」の場合は敦盛がシテ)当然その動きも素早く。扇で刀を作って切りつけたり、飛んだり跳ねたり、足拍子も力強く。謡いもゆったりしたものではなく、勇ましくてテンポが速い。見ている分には動きがあるので面白いんですが、舞う側となるとこれがとにかく体力を使います。

昨年、「敦盛キリ」に決まった私を待っていたのは、血反吐を吐くような個人練習・先生の厳しいご指導・卒業した先輩をお招きしての熱血個別指導という、物凄い修羅場でした。
ただでさえ学内がどこもかしこも忙しい目白祭期間中、密かに樟渓館にて繰り広げられていたプチ地獄絵図…。
私は仕舞で素早く動くのが苦手です。動けることには動けるのですが、型がないがしろになってしまったり姿勢が悪くなってしまったり、とても舞とは言えないものになってしまいます。仕舞で素早く、なおかつびしっとした動きを要求されると言うのは、私にとって大変つらいことでした。

しかし、自演会とお素人会にて「敦盛キリ」を舞い終わった後の達成感は、何物にも代えがたいものがありました。
あのタイミングで自分の苦手なものと向き合い、努力して、「敦盛キリ」という演目を舞うことができて本当に良かったと思っています。


そして今年。三年の私の出すことになった演目は、文頭に概要を載せました「俊成忠度」。
ここまで来たらお分かりの通り、これももちろん「修羅物」です。
…。

今年も練習をがんばろうと思います…。



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2009,09,18, Fri 21:56
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