朝、五時に自然に目覚めた。
・・・学校行かなきゃ。生徒が待っている。 そう思ってハッとする。もう、教室で待っている生徒はいないのだ。 私の、三週間の教育実習は終わったのだ。 *** 教育実習は、指導して下さる先生によって大きく変わる。 これは、事実だ。 私は幸運にも、非常に素晴しい先生に指導して頂く事ができた。 私の指導をして下さった先生は、本物の教師であった。 教師という職・立場に、強烈な信念と熱意を持って生きている先生であり、妥協をせず、じっくりと理想を追求する先生であった。生徒をより良くしていくために努力を惜しまない、愛情に溢れた先生だった。 私は、先生に出会って「実習期間中は、指導教諭の先生に習い、学び、徹底して倣おう」そう心に決めた。自分のやってみたい授業像・教師としての理想、そういう全てを一旦封印し、オリジナルであることに対する拘りを捨てることから始まった教育実習であった。 実習が始まってからというもの、授業スタイル・生徒指導・教師としての在り方、あらゆることについて先生が語る通りに行動しようと心がけ、指示された通りに、教えられた通りに、授業を展開しようと努力した。もちろん、授業については教えられた通りに展開させるなんて、全然出来なかった。経験がなく、授業への勘が働かない。先生の授業展開全体が見通せない。授業スタイルの意図も見えてこない。それでも、疑いを一切挟まず、とにかく指示通りにした。教えられるとおりにした。先生から指摘されたことを、今日よりは明日、明日よりは明後日、ちょっとでも変えられるように努力した。 三週間の間、先生が言うことこそ絶対であり、全てであった。 先生は三週間の間、一度も私を叱らなかった。 怒ることもなかったし、嫌味も言わなかった。 「教師は感情で指導してはいけない。」 先生の教師としての姿勢は、決して揺るがない。 先生は、ただ淡々と、授業についてダメな点、改善すべき点を指摘し続けた。 私は、先生の話をメモしながら聞き、先生から学ぼうとし続けた。 もはやそれは、真剣勝負の域。 どこまで、お前は吸収できるのか。 どこまで、先生から受け取れるのか。 授業や生徒指導の欠点を指摘されようと、現役教員でさえ気付かないような細かい点まで目を配って生徒指導をしろと言われようと、自分の中で「実習生だから」「経験がないから」などと言い訳してごまかさず、一切聞き流さないということは、何を言われても全てこの身に受けるということだ。出来ないこと、自分の至らない点を直視して、常に客観的に見つめ続けた。 だからこそ疲れきったし、精神的に本当に苦しくて辛かった。 実習中学校に行きたくないと思ったこともあったし、泣いたこともあった。 授業をしたって、ダメ出しと欠点の指摘しかされない。 最後の最後まで良い所なんて1つも言ってもらえなかった。 生徒指導も先生の教えて下さる通りに出来なくて、指摘と指導ばかりだった。 今思えば、先生がどれだけの熱意を持って細やかに指導して下さったのかがよくわかる。私が教えて頂いたのは授業のことだけではないのだ。生徒指導、学校の抱える問題、その大変さ、教師としての意識の持ち方。あらゆることを何時間もかけて教えて下さった。実習生だからといって手を抜くことも、甘やかすことも,なく、本当に後輩教員に教えるように、指導して下さったのだ。 目をそらさず、先生が伝えようとして下さっているものを最大限受け取ろうとした三週間。それはまるで、教師としての姿勢、信念、態度、先生の生き方そのものを学ぶような感覚だった。 最終日、先生の目を真直ぐ見て、この先生から貰うもの貰ったなと感じた。 一人の教師から私が必死に受け取ろうとした無言のメッセージ それが、私の教育実習の全てだった。 どんな職人や芸術家も模倣から全てが始まる。 教職だって、同じこと。何かを模倣することもできずに新しい自分のスタイルなんて作り上げることは出来ないと、私は思う。実習を通して、先生の授業を模倣し、オリジナリティーや私のアイディアなんてほとんどない授業をしてきた。その中で学んできたことをこれからどのように自分の中で熟成させるかということが大事なのだ。 実習の在り方として、これはこれで、正解だったと思う。 まっさらな状態を、指導教諭の色に染められてみるという そういう実習のあり方もあるのだ。 ただ無心に吸収することが必要である時、それが今であったのだ。 20代のこの時期に こうして、まっすぐに人の言葉を受け止め続ける三週間があったことは 私にとって一生の宝になるであろうと思う。 確信をもった言葉と態度で私を指導して下さったこと 熱意を持って、冷静に指導して下さったこと その教師としての背中を私は一生忘れることはないだろう。 *** 教育実習を終え、中学校との二度目の別れをして、ふと、自分の中学生の頃を思った。過去の私はどういう気持ちで、あの時、あの場所と別れたのだったか。中学校卒業以来開いていない、卒業文集を1時間かけて探して、本棚の裏に落ちているのを発見した。埃を払って、ページをめくって、自分の名前を探す。 7年ぶりに開いた卒業文集、その時の思い。 「前向きに、何事にも挑戦し、辛いことからも、嫌なことからも逃げないよう心がけて、強い心と意志を持つ大人になっていけたら、と思う。」 これが、中学校の卒業文集の最後に私が書いた一文であった。 15歳の私が、未来の自分に願った場所に戻って、もう一度辛いことからも、嫌なことからも逃げずに、真っ直ぐに先生の言葉を受け止め、生徒と向き合った三週間は終わった。 過去の自分に問う。 「今の私は、貴女が願ったとおりに大人になることが出来ているでしょうか。」 過去の私からの答えなど、永遠にわからない。 それなのに、どうしてだろう。 「まあ、そんなもんだ」 精錬授業後の指導教諭の一言が、私の中で響いた。 >more⇒
2009,06,24, Wed 10:43
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