私がこのブログに記事を書くのは今日が最後。今までありがとうございました!
大学生活を振り返ると、やはり源氏物語に終始するように感じます。古典を好きになったのも、中古文学で卒論を書き抜くことが出来たのも、やっぱり源氏物語のおかげですから。 ということで源氏物語についてお話ししたいと思います。一番好きなのは、光源氏の息子・夕霧!!特に最近は、彼と学問との関係に惹かれます。夕霧は当時の上流貴族としては珍しく、大学で学問を修めます。それは光源氏の意向でしたが、夕霧にとっては辛く悔しいものでした。光源氏ほどの権力者を父に持ちながら、しなくてもいい苦労をするのですから! でもその後の彼には、学問を修めた者としての自負が感じられるように思います。例えば藤裏葉巻のこんな場面。(斜体が和歌) 夕霧「なにとかや今日のかざしよかつ見つつおぼめくまでもなりにけるかな 場面は夕霧と雲井雁が結婚し、素晴らしい夫婦仲であると語られた後の葵祭。夕霧と藤典侍が歌を交わします。藤典侍は夕霧の恋人。雲井雁との仲を認められず苦しんでいた時、夕霧が見出した女性でした。 夕霧は葵(あふひ)に、「会う日」(あふひ)をかける常套的な方法で、「最近会えなくてごめんね」と言うわけです。なぜ会えないかと言えば、奥さんの雲井雁にべったりだから。それを分かっている藤典侍は「どうして会えないかは、あなたが一番ご存じでしょう?」と切り返します。しかも「博士ならでは(博学なあなたでないとわかりません)」とまで言い添えて。源氏物語中で「博士」とつく人物は、堅苦しく古めかしいと人々に笑われるような存在。ここで藤典侍が「博士」という言葉を使ったのも、夕霧への非難からではないかなと考えています。 でもその反面、この「博士ならでは」という言葉は、「学問で辛く厳しかった時を私は知っておりますよ(あなたの妻はそれをご存じですか?)」という夕霧を引き留めるメッセージに思えてなりません。実際夕霧はこのやりとりで、藤典侍を「思ひ離れず、はひ紛れたまふべき」となるのですから。大恋愛の末に結ばれた雲井雁という妻がいながら、藤典侍と関係を絶つことはなく、こっそり会い続けたというわけです。 こういう結果は、やはり夕霧に学問への自負があったからではないでしょうか。また藤典侍は、そんな夕霧を理解していたのかもしれません。この二人の関係には、夕霧の大学時代が大きな存在となっていると考えられるのです。 大学での4年間を終え、夕霧にそんな姿を求めてしまうのかもしれません。私自身、心残りも多いですがやはり「学んだぞ!」という気持ちがあります。でもそれが4月からの社会人としての生活で役立つのか。分からないから余計に「自負」を持ってしまうのかな、とも思ったり。 まあ、でもとりあえず夕霧と藤典侍ではないですが、学問や大学と通しての繋がりは大事にしたいなと思います。あんなにも若さや情熱をかけて学問と向き合った姿を知っている人がいるのは、やっぱり嬉しいものですから。 うまくまとめられず申し訳ないですが、この辺りで。 おまけの袴姿。 3月20日に卒業式がありました。晴れて良かった! ![]() ピンクが私。 ![]() 髪型はリボンが気に入ってます。 ![]() 爪もネイルサロンに行きました!ネイルをしたのは本当に久々。
2009,03,26, Thu 23:32
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